「過剰投資のツケ」と「構造改革の波」──三菱ケミカルグループの10年が映す、化学業界の宿命

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固定資産固定資産:長期的に企業が利用する資産。機械、建物、土地、無形資産などを含みます。
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ばかりが増えていく」──。
企業経営において、これは決してポジティブな評価ではない。
なぜならそれは、事業の成長を見込んで投資した資産が、十分なリターン(=利益)を生み出していないという事実を映し出すからだ。

日本を代表する総合化学メーカー・三菱ケミカルグループの財務構造を10年スパンで眺めると、まさにこの問題に直面していることがわかる。

世界の化学業界を覆う構造改革の波

2025年、世界の化学メーカーが支出する構造改革費は70億ドル(約1兆円)超に達する見通しだ。これは4年連続の「1兆円超え」となる異常事態であり、過剰投資の精算が世界的に進んでいることを示している。

背景には、世界経済を揺るがす需要の鈍化と、中国市場の長引く不振がある。とりわけエチレンや塩ビ樹脂といった基礎化学品の市況が悪化し、世界中の化学メーカーが減損・設備閉鎖・人員削減を余儀なくされている。

日本でも、エチレン設備の稼働率が3年以上90%を下回る中、三菱ケミカル旭化成三井化学といった大手がプラント統合や事業整理に踏み切っている。

財務指標に現れる「儲からない構造」

企業力総合評価企業力総合評価:成長に関連のある指標を統合し、企業の成長を表したグラフ。
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を俯瞰すると、三菱ケミカルは一見「正常経営領域」にあるように見える。だが、その内実は決して安定的とはいえない。特に2019年〜2021年まで3期連続で評価が悪化している点は重く受け止めるべきだ。

2503三菱ケミカル企業力総合評価
2503三菱ケミカル企業力総合評価

営業効率営業効率:「儲かるか」を示す統合指標。
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資本効率資本効率:投下資本に対していくら利益が上がったかについての統合指標。
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ともに上下動が大きく、収益構造が非常に不安定だ。

2503三菱ケミカル営業効率
2503三菱ケミカル営業効率
2503三菱ケミカル資本効率
2503三菱ケミカル資本効率

売上(青棒)は緩やかな増収基調にあるものの、売上高営業利益率売上高営業利益率:営業利益÷売上高×100(単位:%)
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(青線)や売上高経常利益率売上高経常利益率:経常利益÷売上高×100(単位:%)
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(緑線)は必ずしも比例していない。

一時的な増益局面もあったが、その多くは営業外収益に依存しており、本業の収益力は長らく改善していない。

※本記事に掲載された図表・グラフはすべて、企業力Benchmarker(株式会社SPLENDID21)による分析結果に基づいて作成されています。

販管費が利益を圧迫する構造的課題

注目すべきは、売上高販売費及び一般管理費比率(黄線)の長期悪化である。売上高(青棒)や売上総利益率(オレンジ線)に対して、販管費販管費:営業活動や会社全体の業務管理ににかかる費用の合計。
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が弾力的に連動せず、重くのしかかっている。

つまり、売上が伸びても販管費が比例して増えてしまい、利益が圧迫される。この状態が続けば、いくらトップラインを伸ばしても、最終的な利益創出には繋がらない。

財務的には、「成長しても儲からない」構造に陥っていると表現しても過言ではない。

2503三菱ケミカル営業効率財務指標・数値
2503三菱ケミカル営業効率財務指標・数値

生産効率向上の背景にある人員削減

生産効率生産効率:人の活用度を評価する財務指標の統合指標。
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という点では、一見すると改善傾向にある。だが、その内実はやや懸念を伴う。

2503三菱ケミカル生産効率
2503三菱ケミカル生産効率

2023年以降、三菱ケミカルでは従業員数(青棒)が明確に減少しはじめており、それに伴い1人あたり売上高1人あたり売上高:売上高÷総従業員数÷1000(単位:千円)
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(オレンジ線)や1人あたり売上総利益1人あたり売上総利益:売上総利益÷総従業員数÷1000(単位:千円)
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(黄線)は向上している。

一方で、1人あたり経常利益1人あたり経常利益:経常利益÷総従業員数÷1000(単位:千円)
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(緑線)はさほど増えていない。つまり、生産性の向上は人員削減による「分母の調整」による側面が大きく、本質的な収益力向上とは異なる可能性が高い。

2503三菱ケミカル生産効率財務指標・数値
2503三菱ケミカル生産効率財務指標・数値

資産効率の悪化と投資の非効率

資産効率資産効率:資産の活用度についての統合指標
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の活用効率という視点でも課題は多い。

2503三菱ケミカル資産効率
2503三菱ケミカル資産効率

特に、棚卸資産回転期間棚卸資産回転期間:棚卸資産÷月商(単位:ヵ月)
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(オレンジ線)の悪化が目立ち、これは在庫の滞留や在庫管理の非効率を示すシグナルだ。

また、仕入債務回転期間仕入債務回転期間:仕入債務÷月商(単位:ヵ月)
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(青線)もジリジリと悪化している。これは下請法など法制度面の影響もあるが、資金繰りへの影響を無視できない。

唯一、売上債権回転期間売上債権回転期間:売上債権÷月商(単位:ヵ月)
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(黄線)が改善傾向にある点は評価できる。回収管理が強化されていることを示しており、一定のコントロールは効いているようだ。

2503三菱ケミカル資産効率財務指標・数値
2503三菱ケミカル資産効率財務指標・数値

無形固定資産の伸びと投資の限界

2019年を境に、三菱ケミカルの総資産に占める無形固定資産無形固定資産:特許権などの法律で保護された権利や、企業のブランド価値など、姿のない固定資産。
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の比率は20%を超えたが、以降は増加が抑制されている。これは、M&Aによる成長に限界を感じ、経営としてブレーキをかけた結果とみられる。

ただし、有形・無形を問わず固定資産固定資産:長期的に企業が利用する資産。機械、建物、土地、無形資産などを含みます。
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の増加は続いており、にもかかわらず売上や利益剰余金利益剰余金:会社がこれまでに稼いだ利益のうち、配当として社外に出ていない蓄積分。
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はそれに見合って増えていない。これは「投資効率が悪い」状態であり、過去の積極投資が期待された成果を出せていないことを示唆している。

2503三菱ケミカル総資産無形固定資産比率
2503三菱ケミカル総資産無形固定資産比率
2503三菱ケミカル固定資産内訳
2503三菱ケミカル固定資産内訳

安全性は維持されるも、経営循環に歪み

流動性流動性:短期資金繰りについての統合指標
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安全性安全性:長期的な財務の安定性を表す統合指標
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の観点では、三菱ケミカルは一定の健全性を保っている。

2503三菱ケミカル流動性
2503三菱ケミカル流動性
2503三菱ケミカル安全性
2503三菱ケミカル安全性

現金預金比率現金預金比率:現金預金÷資産合計×100(単位:%)
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(青線)は20%台を安定的に維持し、流動負債流動負債:1年以内に返済や支払いの期限が到来する負債。
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の圧縮や借入構成の見直しも進んでいる。

2019年に急増した短期借入も、翌年には長期借入へ借り換えが行われ、財務リスクを抑制する動きが見られた。

2503三菱ケミカル流動性財務指標
2503三菱ケミカル流動性財務指標
2503三菱ケミカル流動負債内訳
2503三菱ケミカル流動負債内訳

循環する財務構造と成長の限界

財務数値を時系列で見ると、以下のような循環が見てとれる:

投資過多 → 費用増加 → 利益減少 → 従業員削減 → 生産効率向上 → 利益剰余金改善 → しかし固定負債固定負債:返済期限が1年以上の借入金や社債などの長期的な負債。
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も増加 → 安全性に再びリスクの兆し

表面上は「改善→悪化→改善」のように見えるが、実態は打ち手が根本的な解決に至っておらず、同じループを繰り返しているとも捉えられる。

2503三菱ケミカル善循環・悪循環
2503三菱ケミカル善循環・悪循環
2503三菱ケミカルBS推移
2503三菱ケミカルBS推移

選別投資と業界の将来を占う鍵

三菱ケミカルをはじめとする国内化学メーカーは、プラントの集約や不採算部門の統廃合を急いでいる。これは単なるリストラではなく、過去の投資の清算であり、資産規模の適正化と選別を目指した動きといえる。

今後の成長戦略では、石化依存から脱却し、収益性の高い新領域への事業転換が求められる。競合の旭化成が半導体用材料などのエレクトロニクス分野への投資を進めているように、三菱ケミカルも「選別投資」へ舵を切る必要がある。

「この企業の再起は可能なのか?」──2025年以降の動向は、業界の先行指標になる

三菱ケミカルの財務から読み取れるメッセージは明確だ。「儲からない構造」から脱却し、「資産を活かす戦略」への転換が問われている。

そしてそれは、同社だけでなく、日本の化学業界全体の再生可能性を占う試金石にもなるだろう。

■この企業の最新の分析はこちら → https://bm.sp-21.com/detail/E00808

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山本純子
株式会社SPLENDID21 代表取締役。企業評価・経営者評価のスペシャリスト。多変量解析企業力総合評価「SPLENDID21」というシステムにより、通常の財務分析ではできなかった経営全体を「見える化」するシステムを提供。 近年では様々な企業が本手法を利用して莫大なデータより有用な情報を引き出し、実際の経営に役立てています。 代表者プロフィールはこちら
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株式会社SPLENDID21 代表取締役。企業評価・経営者評価のスペシャリスト。多変量解析企業力総合評価「SPLENDID21」というシステムにより、通常の財務分析ではできなかった経営全体を「見える化」するシステムを提供。 近年では様々な企業が本手法を利用して莫大なデータより有用な情報を引き出し、実際の経営に役立てています。 代表者プロフィールはこちら
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